火の玉通信

家庭菜園や管釣りなど、日々のことを徒然なるままに

嗚呼、やっと、ついに、とうとう、栄冠は君に輝く

昨年の夏の甲子園。我が母校は初めて甲子園の土を踏み、そして1回戦を見事に勝ち、初めてテレビで流れる校歌を誇らしげに聞いた。しかし、コロナの陽性者が出たことで2回戦を辞退した。色々な想いを胸に抱きながら、球児達の、そして俺の、歴史に残る夏は終わった。
一年後、仙台育英が大きな仕事を成し遂げ、ついに東北人の悲願が叶った。
俺にとっては、小さな大投手田村を擁する福島県の磐城vs桐蔭学園戦が、高校野球で優勝旗に手が届きかけた最初のほろ苦い思い出だ。これが、1971年。もう51年前になるのか。地元ではないが、同じ東北、隣の県ということで応援していた。沖縄返還は、その翌年になる。そんな時代だ。なお、1969年の伝説の三沢vs松山商戦は、まったく記憶にない。
これで呪縛から解き放たれる、という仰々しいものではないが、生きているうちに、しかも2年連続して、これまで見ることのできなかった場面に遭遇できたことを、幸運に思う。
サンキュー!